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東京地方裁判所 平成7年(ワ)5023号 判決 1996年10月31日

主文

一  被告らは、各自、原告らそれぞれに対し、金五〇万円及びこれに対する平成七年四月一二日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告らのその余の請求をいずれも棄却する。

三  訴訟費用は、これを一〇分し、その九を原告らの負担とし、その余は被告らの負担とする。

四  この判決は、仮に執行することができる。

理由

【事実及び理由】

第一  請求

被告らは、各自、原告らそれぞれに対し、金五〇〇万円及びこれに対する平成七年四月一二日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

第二  事案の概要

一  本件は、被告岡部悠(以下「被告岡部」という。)を理事長とする被告医療法人社団岡部内科(以下「被告内科」という。)に通院して診察を受けていた齋藤キミノ(以下「キミノ」という。)が、被告内科に来院した最後の日から約四か月後に死亡したことについて、キミノの相続人である原告ら三名が、被告岡部は、キミノに肝臓疾患ないし肝臓癌の徴候があったにもかかわらず、適切な診療を怠ったため、キミノの肝臓癌の発見が遅れ、その結果、キミノは死亡し、延命利益を侵害され、適切な治療を受けて治癒する機会と可能性を失ったものであると主張して、被告内科に対しては診療契約上の債務不履行ないし不法行為に基づく損害賠償として、被告岡部に対しては不法行為に基づく損害賠償として、原告一人当たり金五〇〇万円の支払を求めた事案である。

二  前提事実(証拠を摘示しない事実は、当事者間に争いがない。)

1 原告ら三名は、いずれも、キミノ(大正九年三月一〇日生)の子であり、相続人である。被告岡部は、被告内科の理事長で、キミノに対する診療行為を行った医師である。

2 キミノは、昭和五六年四月二〇日に被告内科で受診して以来、被告岡部をいわば主治医として同人の診察を受け、平成六年三月一四日までの最近五年間は、月二回位の割合で被告内科に通院していた。

3 被告岡部は、平成四年一月二四日、同年六月一二日、平成五年七月一五日、同年一一月二六日及び平成六年三月一〇日に、キミノについて血液検査を実施した。その主な項目と基準値及び結果は、別表「血液検査結果」のとおりである。

4 キミノは、平成六年三月二二日、代々木病院で検査を受けた結果、肝機能異常及び悪性腫瘍の進行期を示す数値が出た。

5 キミノは、平成六年四月一日、笹塚平本クリニックで診察を受けた結果、触診によって肝臓が腫大していることや上腹部に腫瘤があることが分かり、肝腫瘍の疑いと診断され、JR東京総合病院を紹介された。

6 キミノは、平成六年四月四日、JR東京総合病院の消化器内科で多発性肝腫瘍と診断され、同月七日、同病院に入院したが、高齢であることから積極的治療は不可能とされ、同年五月二日に退院した。

7 キミノは、平成六年五月六日、河北総合病院で診察を受け、それ以後同病院に通院し、発熱、食欲低下のため、同月二二日、同病院に入院したが、次第に黄疸が増強し、心窩部痛等の苦痛除去を行ったものの、状態が悪化し、同年七月二七日、肝内胆管癌を原因とする肝腎症候群で死亡した。

三  原告らの主張

1 被告岡部(被告内科)の注意義務違反

(一) 総論

キミノは、昭和五六年から定期的に被告内科に通院し、被告岡部を主治医として同人の診察を受け続けており、キミノと被告内科との間には診療契約が成立していたから、被告内科及び医師である被告岡部には、触診を含む適切な診療を行う義務があり、(二)に述べるとおり、診察の際に実施された血液検査において異常な結果が出たり、肝臓疾患ないし肝臓癌の症状の訴えがあったときには、肝臓疾患ないし肝臓癌を疑い、エコー検査(超音波検査)及びAFP検査(腫瘍マーカーの一種であるアルファフェトプロテインを測定する血液検査)等の精密検査をすべき注意義務(以下「検査義務」という。)があり、また、エコー検査の設備がない場合には、同設備を有する他の医療機関を紹介すべき義務(転医義務)がある。しかるに、被告岡部は、日ごろから触診を怠り、右検査も他の医療機関への紹介もしなかった。

(二) 各論

(1) 平成四年一月二四日に実施した血液検査は、LAP(ロイシンアミノペプチターゼ)が一九九、γ-GTP(ガンマーグルタミールトランスペプチターゼ)が八七という異常な結果だった。右検査結果が出た時点で、被告岡部には検査義務又は転医義務があったが、同人はこれを怠った。

(2) 平成五年八月、キミノは、被告岡部に対し、胸にしこりがあることを訴えた。胸のしこりすなわち上腹部のしこりは肝臓疾患ないし肝臓癌の徴表であるから、この時点で、被告岡部には検査義務又は転医義務があったが、同人はこれを怠った。

(3) 平成五年一一月二六日に実施した血液検査は、LAPが一七二、γ-GTPが七五という異常な結果だった。右検査結果が出た時点で、被告岡部には検査義務又は転医義務があったが、同人はこれを怠った。

(4) 平成五年一二月、キミノは、被告岡部に対し、発熱がひどいことを訴えた。発熱は肝臓疾患ないし肝臓癌の徴表であるから、この時点で、被告岡部には検査義務又は転医義務があったが、同人はこれを怠った。

(5) 平成六年一月から二月にかけて、キミノは、被告岡部に対し、食欲不振及び倦怠感を訴えた。食欲不振及び倦怠感は肝臓疾患ないし肝臓癌の徴表であるから、この時点で、被告岡部には検査義務又は転医義務があったが、同人はこれを怠った。

(6) 平成六年二月二四日、キミノは、被告岡部に対し、胸にしこりがあることを訴えた。胸のしこりすなわち上腹部のしこりは心臓疾患ないし肝臓癌の徴表であるから、この時点で、被告岡部には検査義務又は転医義務があったが、同人はこれを怠った。

(7) 平成六年三月一〇日に実施した血液検査は、ALP(アルカリフォスファターゼ)が四三六、LAPが二一七、γ-GTPが九七という異常な結果だった。右検査結果が出た時点で、被告岡部には、検査義務又は転医義務があったが、同人はこれを怠った。

また、被告岡部がキミノに対して右検査結果を説明した同月一四日の約二週間後の同年四月一日、キミノが笹塚平本クリニックにおける触診によって肝腫瘍の疑いがあると診断されたことからすると、被告岡部が前記来院日に触診をしていれば肝臓疾患ないし肝臓癌が発見されていたことは間違いないところ、被告岡部はキミノに対して日ごろから触診をしておらず、右同日も触診をしなかった。

2 被告らの責任

被告岡部の1の各注意義務違反によって、キミノは死亡し、延命利益を侵害され、肝臓癌の適切な治療を受けて治癒する機会と可能性を失った。

これは、被告内科の診療契約上の債務不履行又は不法行為に当たり、かつ、医師たる被告岡部による不法行為に当たるから、被告内科及び被告岡部は、キミノに生じた損害を賠償する義務がある。

被告岡部の注意義務に違反する行為により、キミノは、多大の精神的苦痛を被った。同人が被った右精神的苦痛を金銭的に評価すると金一五〇〇万円に相当し、原告らはこれを金五〇〇万円ずつ相続した。

四  被告らの主張

1 被告岡部(被告内科)の注意義務違反の不存在

(一) 総論

被告岡部がキミノについてAFP検査をしたり、エコー検査の設備のある他の医療機関を紹介したりしなかったのは、同人について、肝臓疾患ないし肝臓癌を疑わせるような症状も主訴もなく、血液検査でも異常が認められなかったからである。

(二) 各論

(1) 平成四年一月二四日の血液検査の結果は、すぐには異常と考えるほどの数値ではないし、キミノから肝臓疾患ないし肝臓癌の訴えも症状もなかったのであるから、被告岡部には検査義務も転医義務もなかった。被告岡部は、キミノについて、一般患者よりも少し多めの血液検査を行って、その後も経過観察を続けていたものである。

(2) 平成五年八月に、キミノが被告岡部に対して胸のしこりを訴えたことはなかったから、被告岡部には検査義務も転医義務もなかった。

(3) 平成五年一一月二六日の血液検査の結果は、すぐには異常と考えるほどの数値ではないし、特に、γ-GTPの数値七五は、平成四年一月二四日の数値八七よりは低く、むしろ良くなっており、キミノから肝臓疾患ないし肝臓癌を疑わせるような訴えも症状もなかったから、被告岡部には検査義務も転医義務もなかった。

(4) 平成五年一二月、キミノが被告岡部に対して発熱を訴えたことはなかったから、被告岡部には検査義務も転医義務もなかった。

(5) 平成六年一月から二月にかけて、キミノが被告岡部に対して食欲不振及び倦怠感を訴えたことはなかったから、被告岡部には検査義務も転医義務もなかった。

(6) 平成六年二月二四日、キミノが気にしていた「胸のしこり」とは肝臓癌ではなく、胸骨下端の剣状突起のことであったので、被告岡部はその骨の成り立ちを説明したのであって、被告岡部には検査義務も転医義務もなかった。

(7) 平成六年三月一〇日に渋谷区民誕生月健康診査を兼ねて実施した血液検査の結果について、被告岡部は、異常所見があり、医師の指導が必要と判断して、同月一四日、キミノに右検査結果を説明し、次回精密検査をする約束をした。この精密検査の際、AFP検査も行う予定であった。しかし、その後キミノは来院しなかった。したがって、被告岡部には検査義務違反も転医義務違反もなかった。

また、この際、被告岡部は、キミノに対して触診をしなかったが、同日の措置としては、右血液検査の結果を説明して、次回に精密検査をすることを約束しただけで十分であり、触診は必要ない。

2 因果関係の不存在

仮に、被告岡部が原告主張の各注意義務を履行していたとしても、キミノの救命は不可能で、本件と同じ事実経過をたどったというべきであるから、被告岡部の各注意義務違反と本件結果との間には因果関係はない。

第三  当裁判所の判断

一  被告らの注意義務

1 前提事実2記載のとおり、キミノは、昭和五六年四月二〇日以降、定期的又は随時被告内科に来院し、診察を受けていたのであるから、キミノと被告内科との間には、通院の都度、そのときのキミノの主訴に応じた診療契約が成立していたものと考えられる。

ところで、医師ないし医療機関(以下「医師等」という。)は、診療契約に基づき、又は専門的職業人として、患者に対し、当時の医療水準に則って、症状の医学的解明とこれに基づく適切な指示、指導及び治療行為(以下この意味で「診療」という。)をすべきであるという義務を負っており、また、診察の結果などから、異常を疑わせるような状況が生じた場合には、検査義務や転医義務を負う場合もあるのであって、医師等が右義務(以下これらを「注意義務」で総称する。)に違反することによって、死亡、延命利益侵害、その他の損害を被った患者は、医師等に対し、債務不履行又は不法行為を理由として、右損害の賠償を求めることができると解するのが相当である。

2 被告岡部(被告内科)の注意義務違反

(一) 平成六年一月以前(当事者の主張の各論(1)ないし(4))について

前提事実3記載のとおり、キミノにつき、平成四年一月二四日に実施された血液検査において、LAPが一九九、γ-GTPが七五という正常範囲(基準値)に入らない数値が表れており、また、平成五年一一月二六日に実施された血液検査においても、LAPが一七二、γ-GTPが七五という正常範囲外の数値が表れていたのであるから、被告岡部としては、右各時点で、更に精密な検査を試みることが相当であったとも考えられる。しかしながら、別表記載のとおり、平成四年一月二四日の数値については、その後の同年六月一二日、平成五年七月一五日の検査において、LAPは正常範囲内になり、γ-GTPも正常範囲内に近づいてきたものであり、また、同年一一月二六日には、再び数値は悪化したものの、平成四年一月二四日のそれよりは良いものであって、《証拠略》によれば、これらの数値は正常範囲外のものであるものの、それほど深刻なものではないと認められることからすると、右各時点において、被告岡部に原告ら主張の注意義務違反があったとまではいうことはできない。

なお、キミノが、平成五年八月に胸にしこりがあることを訴えたとの事実及び同年一二月に発熱がひどいということを訴えたとの事実は、これに沿う甲第一、第一〇号証の各記載部分があるが、乙第一号証(診療録)等にはその旨の記載がないことなどから、これをそのまま採用することはできず、他に右各事実を認めるに足りる証拠はない。

(二) 平成六年二月(同各論(5))について

甲第七号証(診断書)には、原告ら主張のとおり、キミノは、河北総合病院において陶山時彦医師に対し、平成六年二月から倦怠感、食欲不振、心窩部痛が出現した旨を話したとの記載がある。

しかし、他方、《証拠略》によれば、平成六年三月一〇日の健康診査のときには、キミノは、被告岡部に対して何ら自覚症状を訴えなかったことが認められ、また、乙第一号証の平成六年二月の欄には、食欲不振及び倦怠感の訴えの記載はない。右両事実に照らして考えると、陶山時彦医師に対するキミノの前記発言の記載のみから、同年二月の時点において、キミノが被告岡部に対して食欲不振及び倦怠感を訴えた事実を認めることはできず、他にこれを認めるに足りる証拠はない。

したがって、キミノから、被告岡部に対し、食欲不振及び倦怠感という肝臓疾患ないし肝臓癌を疑わせるような症状の訴えがあったとは認められないから、平成六年二月時点における、原告ら主張の被告岡部の注意義務違反の事実も、これを認めることはできない。

(三) 平成六年二月二四日(同各論(6))について

《証拠略》によれば、キミノが平成六年二月二四日の診察時に胸にしこりがあることを訴えたという事実を認めることができる。

この点、乙第一、第四号証には、キミノが、胸骨の剣状突起を気にしていたのでこれを説明した旨の記載部分がある。しかし、前提事実及び甲第四号証によれば、キミノは、その五週間後の同年四月一日に、笹塚平本クリニックにおける触診によって、肝臓が腫大していることや上腹部に腫瘤があることが分かり、肝腫瘍の疑いとの診断を受けていることが認められ、また、キミノが被告岡部に対して胸にしこりがあることを訴えたのは、同部位に何らかの変化があったからであると考えられるところ、この時期にキミノの剣状突起が突然変化を起こしたとは考えにくいことを考慮すると、この胸のしこりは、後日笹塚平本クリニックでの触診によって診断された肝腫瘍の徴表であって、これを被告岡部が胸骨の剣状突起と判断したことは誤診だった疑いが強いというべきである。

しかしながら、同日は血液検査の客観的数値が出ていたわけではなかったこと、そして、前認定のとおり、直前の血液検査が行われた平成五年一一月二六日の検査結果はそれほど深刻な数値ではなかったこと、また、被告岡部本人によれば、同人は、キミノを狭心症を中心とした心臓疾患の患者として診察してきていたことが認められることなどを考慮すると、この時点でのキミノの胸のしこりの訴えのみから、被告岡部に原告ら主張の注意義務を負わせることまではできないというべきであるから、被告岡部の注意義務違反は認められない。

(四) 平成六年三月(同各論(7))について

(1) 《証拠略》によれば、以下の事実が認められる。

<1> 被告岡部は、平成六年三月一〇日に実施したキミノの血液検査の結果から、同人が高血圧境界領域であり、高脂血症、肝疾患(疑いを含む)及び貧血(疑いを含む)であるとして、「要指導」と判断した。

<2> 被告岡部は、平成六年三月一〇日の血液検査の結果が出る前は、キミノが肝臓疾患ないし肝臓癌であると疑ったことは一度もなく、右検査の結果、初めてキミノの肝臓の異常を疑ったものであるが、キミノに対して検査結果の説明をした同月一四日には、触診を行わなかった。

(2) ところで、被告岡部は、平成六年三月一四日、次回の通院日に精密検査を実施することをキミノと約束したが、検査をすると言えば普通次の日に来るものなので、特に検査の日付は言わなかったと本人尋問で供述し、乙第五号証にもこれに沿う記載部分がある。

しかし、精密検査を約束しながら日付を指定しないこと自体不自然であるし、次回検査をすると言えば次の日に来ていたはずのキミノが、実際は来院しなかったこと、乙第一号証にはその旨の記載はないこと(一方、胃の検査を行った平成五年一一月二六日の前日である同月二五日の欄には「明日胃の検査」という記載がある。)などからすると、精密検査の約束をしたという被告岡部の供述及び乙第五号証の記載部分をそのまま採用することはできず、他に右事実を認めるに足りる証拠はない。

(3) 以上の事実を前提に検討するに、前認定のとおり、平成六年二月二四日にキミノが被告岡部に対して訴えた胸のしこりは、肝腫瘍の徴表である疑いが高いこと、同年三月一〇日に行った血液検査の結果で異常値が出て、被告岡部はキミノの肝臓の異常を疑ったこと及び同月一四日の約二週間後の同年四月一日、キミノは、笹塚平本クリニックにおける触診によって、剣状突起下部に肝腫瘍の疑いとの診断を受けており、同年三月一四日の時点では肝腫瘍は相当進行していたと推測されることなどを考慮すると、被告岡部は、同年三月一四日の時点でキミノの肝臓疾患ないし肝臓癌を疑い、直ちに触診を行い、精密検査を行うか転医させるなどの措置を採るべきであったといわなければならない。

したがって、これらの措置を怠った被告岡部には注意義務違反があったというべきである。

二  被告らの責任

1 右認定のとおり、被告岡部には、平成六年三月一四日の時点でキミノの肝臓疾患ないし肝臓癌を疑い、直ちにキミノに対する触診を行って精密検査を行い、又は転医させるなどの義務があったというべきであり、これは、被告岡部については不法行為責任を発生させ、被告内科については、診療契約上の債務不履行責任又は不法行為責任(医療法六八条、民法四四条一項)を発生させるものというべきである。

2 そこで、前記各注意義務違反によりキミノが被った損害について検討する。

(一) まず、キミノの死亡及び延命利益侵害についてであるが、被告岡部には前記注意義務違反が存在するものの、仮に、同被告がキミノに対する触診や精密検査を行ったり、転医させる等の措置を採ったとしても、キミノが肝臓癌によって死亡せず、又は、相当期間延命し得たかについては、疑問であるといわざるを得ない。

すなわち、前提事実5記載のとおり、キミノは、平成六年三月一四日の約二週間後である同年四月一日、触診によって肝腫瘍の疑いと診断されたが、同月七日には、高齢を理由に積極的治療は既に不可能とされたことからすると、その約三週間前の同年三月一四日の時点では、キミノの肝臓癌は既に相当進行した状態にあったものと推測されるから、この時点において被告岡部が適切な措置を採ったとしても、キミノのその後の事実経過に大きな変化はなかったものと考えられる。

勿論、被告岡部が前記各措置を採った場合、キミノが死亡せず、又は相当期間延命できた可能性は絶無ではないであろうが、右の経過に照らすと、結局のところ、キミノが肝臓癌によって死亡しなかったかどうか、又は相当期間延命し得たかどうかについては、本件全証拠によるも不明であるといわざるを得ず、したがって、被告岡部の前記注意義務違反と、キミノの死亡及び延命利益の侵害との間には相当因果関係を認めることはできない。

(二) しかしながら、本件においては、前認定のとおり、被告岡部は、平成六年三月一四日、キミノの肝臓疾患ないし肝臓癌の徴候を見過ごして、触診を怠り、また、精密検査又は転医という措置を採らなかったことが認められ、これによって、キミノは、当時の医療水準から一般の患者が受けるであろう適時適切な診療を受ける機会を奪われ、同年四月一日に笹塚平本クリニックで肝腫瘍の疑いと診断されるまで、何らの措置もされなかったものである。

《証拠略》によると、キミノは、昭和五六年以来、専ら被告岡部をいわば主治医として信頼し、通院を続けていたにもかかわらず、被告岡部による適切な診療を受けられないまま、結局、最終的には他の医師を頼らざるを得なくなったという事実が認められ、同人は、被告らに寄せた信頼を裏切られ、適時適切な診療を受ける機会を奪われたことによって精神的苦痛を受け、精神的損害を被ったと認めることができる。

前認定の事実を総合すると、右損害額は、金一五〇万円をもって相当とする。原告らは、これを金五〇万円ずつ相続したものである。

第四  結論

以上によれば、原告らの被告らに対する各請求は、原告らそれぞれにつき金五〇万円及びこれに対する訴状が送達された日の翌日である平成七年四月一二日から支払済みまで年五分の割合による金員の支払を求める限度において理由があるからこれを認容し、その余は理由がないからこれをいずれも棄却することとして、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 山崎 恒 裁判官 見米 正 裁判官 品田幸男)

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